今朝の朝ごはんは
セブンイレブンの肉まんを買い物ついでに買ってきました。
食べた後に
聘珍楼の閉店の話を聞いた。
今から
40年前
19歳で上京。
廊下のある平屋に住んでいた私は
初めて6畳一間の狭い家で暮らす。
ホームシックと狭い部屋に耐えられず
夜に公園に行ったり
横浜の海の見える所まで行き
潮風で故郷を思い出して
何とか頑張っていた時代。
横浜中華街を散策。
でもお金はそれほどない。
聘珍楼の中で食事する贅沢はできないけれど
せめて、お店の前で売っていた肉まんを買って食べた懐かしい思い出、、、、。
でも、今は
コンビニでこうして
まあまあ美味しい肉まんが買える時代。
多分、コロナの前から
影響はあったかもしれない。
残念ですが、
ひとつの時代が終わったような気がして
とても、寂しい、、、。
聘珍樓の創業は1884年。 張姓の華僑が現本店所在地に中国料理店を開業。 ... 当時、日本にあった中国料理店では山下町135番地にあった会芳楼(現在は山下町公園にあずまやの会芳亭が記念に立つ)や遠芳楼に次いで古い店。
聘珍樓の歴史
1884年(明治17年)聘珍樓は横浜で産声をあげました。
たくさんの外国船が行き交い、日本で初めての蒸気機関車が煙をあげて走っていた時代です。
以来130余年。日本に現存する最古の中国料理店として多くのお客様にご愛顧いただいております。
街の様子も人々の暮らしも随分変貌し、いまやこの地は「横浜中華街」と呼ばれ世界的に知られるようになりました。
しかし、今でも変らないのが「聘珍樓」のおもてなしと職人気質です。
「良き人、素晴らしき人が集まり来る館」という 「聘珍樓」の名に込められた思いと、お客様にひたすら尽くし、吟味された素材で織りなす料理人たちの真剣勝負の数々。
私たちはこれからも、その土地の食材と中国料理の伝統と技をもって、美味しく楽しい料理を提供してまいります。
Webで調べたら
このように出て来ました。
函館も開港が早かったので
中華料理の歴史は他県に負けないと思いますが
今はほとんどなくなってしまった。
私の祖父は
食べることが好きで
子供達と孫達を連れて
色々な所に
食べに連れてってくれた。
王さんの2階や
レストラン館
釜飯の若松
天ぷら屋のお梶?
などなど、、、
こどもの国で乗り物に乗って
動物を見てから
ご飯を食べに行く。
3夫婦+子供9人をどうやって連れて行ったんだろう、、、。
おじいちゃん大好き❤な私は
謎のままです。
今の食の仕事についたのは
祖父のお陰かもしれません。
感謝感謝🥲